2011年07月17日

【回顧録】きっかけ3〜ある女性社員の退職

記事『きっかけ1』と『きっかけ2』で書いたように、うつ病発症の決定打となったのはプロジェクトリーダーの逃避行だ。
しかし、それより一ヶ月前から「不眠」「思考力低下」「子供の相手ができない」などのうつ病の始まりみたいな症状があった。確かにむずかしいPJではあったが、若手女性社員Aの退職で頭が混乱したというのが原因ではないかと思っている。

話は数年前に遡るが、現在の会社へ転職して最初の案件が運用保守だった。
そこにいたのは同じ会社のお局さん的存在で、何かと口うるさいが自分のことは棚にあげるという良い人間関係を構築するのが難しい相手だった。まあ私も大人げなかったかもしれないが、完全にノー会話状態になり、相手がダダをこねだして私が移動するハメになった。他の社員の話では、私の前任者も同じ理由で飛ばしたというツワモノだった。

そして私の後任に若手女性社員Aが指名され配属された。その子とは以前長期PJで一緒にやって、気軽に話せる社員の一人だった。私の印象ではマジメかつ明るい女性。
そして「(お局の)○○さんは難しい人」など私が飛ばされた原因を語り、「君は明るいから上手くやれるよ」などと話をした。その時は「上手くやってくれるだろう」「時々話しを聞けば良いか…」と全く心配はしていなかった。

しかし数ヶ月後に営業部社員から「Aさんが○月で退職するから○○日に送別会をする」と連絡が入る。退職理由を尋ねると「現場で精神的に痛めつけられ、うつ状態になったから」とのことだった。
青天の霹靂だった。「しまった…!!?exclamation」と思った。
その日の帰りの電車の中では、頭がポカーンとして自責の念が芽生え始めていた。「私が悪い先入観を与えてしまったのではないか」「仕事の多忙さを理由に話すら聞いてあげれてなかった」「長い間苦しんだのではないか」など…。

彼女の送別会は作業があったので出れなかった。結局何も会話せずに、彼女は会社を去っていった。

その後は気持ちを切り替えて仕事をしていたつもりだが、やはりプチうつ病になったのは「そこから」ではないかと思っている。やはり私はメンタル面が弱い人間だったのだろう。
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2011年07月08日

【回顧録】きっかけ2〜リーダーの逃避行

PLの失踪(逃避行)は突然だった。

PL休み初日:PLから「休む」というメールが朝イチに届く。
PL休み2日目:PL無断欠勤。結局、終日連絡着かず…。
PL休み3日目:PL無断欠勤。PMが自宅まで行くが不在?…。
PL休み4日目:PL無断欠勤。来週から新しいPLが入るとのこと。

PLの逃避行により私の負担が数倍に増えた…。この4日間はユーザーとの仕様調整やスケジュール調整などに追われて、毎日終電で、頭の回転も鈍っていた。人との会話中に意識が飛ぶような不思議な感覚もあった。しかし、何とかスケジュールも練り直し仕様調整も目処をたてた、気がしてた。

土日の日記を見ていると「無気力状態」「休みの日は家事をしている。家庭に仕事を持ち込んではならない。」「仕事の不安からごろごろしてた」「もしかしてストレスからコロンといくかもしれないので、家族には良い印象を持ってもらおう」「立ちくらみやめまいがするが気のせいか」などと綴られている。
完全に思考能力が低下していたのがわかる。

そして翌週の『【回顧録】うつ病発症の序章』につづく。

逃避行したPLからは、この数日後に遠くの地から会社に「すみません」と連絡があったそうだ。
それしか聞かされていないので詳細はわからない。本当に失踪したならば捜索願いが出されるのでは?と疑問に思いながらも協力会社という立場から詳しいことは聞けなかった…。
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2011年07月02日

【回顧録】きっかけ1〜プロジェクト

記憶を辿ると、私は昨春から新規システム開発プロジェクトに協力会社SEとして1人で参加していた。最初は上流工程を「掛け持ちPM(プロジェクトマネージャ)」「PL(プロジェクトリーダー)」「SE(システムエンジニア)2名」の4人体制でスタート。期間は一年、秋口には製造開始でPG(プログラマー)が5名ほど増員されるPJだった。

初夏頃に突然PMが交代。そこからPJ(プロジェクト)がガタつき始める。こまかいPMとおおざっぱなPL、意見が合わない。2人でモメる。
「(経験が少ない)おおざっぱなPL」それが全ての元凶だったのかもしれない。
ユーザーとの立ち話で仕様を決めたり、認識がグレーなまま仕様を膨らましたり。まあ他のPJでもユーザーの仕様変更に悩まされることはあるが、多すぎる。(ユーザーとの要件定義をメインでやっている私だったが)協力会社という立場だったので「予算考えてやってるの?」とは言えない。

ストレスが溜まりつつ何とか秋口に上流工程完了となった。まだグレーな部分は残っていたがPLの「そういうお客さんだから」という言葉を信じた。
その時点で一ヶ月前から「不眠(仕事の夢ばかりみて、夜中に何度も目が覚める)」「思考能力が下がっている」「休日に子供が近づいてきても相手する気にならない」「休日も仕様のことしか頭にない」など妙な症状があった。
その時はまだ気力も残っていて「製造の2ヶ月間は毎日終電コースかな…?」と思いつつ、何とかPJ終了までやれそうな気がしていた。

しかし、突然ほんとに突然、PLが失踪(逃避行)した…どんっ(衝撃)
posted by utuse_gogo at 15:00| 回顧録 きっかけ